1991-03-15 第120回国会 衆議院 内閣委員会 第7号
「昭和二十年三月十三日斬込隊として出撃命令を受け、○○隊長指揮の下○○山の○○小隊の陣地に到着するも三月十五日米軍に包囲され、機銃と迫撃砲による集中攻撃を受け、山の稜線に釘付け状態となり、交戦中、機銃による右大腿部貫通銃創と迫撃砲弾により右足二ケ所破片創を受け、壕に収容され応急手当を受ける、」そこで「多数の戦友が戦死、其夜隊長より重傷者の自決と翌十六日の玉砕が宣告された」。
「昭和二十年三月十三日斬込隊として出撃命令を受け、○○隊長指揮の下○○山の○○小隊の陣地に到着するも三月十五日米軍に包囲され、機銃と迫撃砲による集中攻撃を受け、山の稜線に釘付け状態となり、交戦中、機銃による右大腿部貫通銃創と迫撃砲弾により右足二ケ所破片創を受け、壕に収容され応急手当を受ける、」そこで「多数の戦友が戦死、其夜隊長より重傷者の自決と翌十六日の玉砕が宣告された」。
例えば、京都にお住まいの方ですが、戦傷病者の石橋さんという方なんですが、当時アリューシャン列島で不幸にして右大腿部に被弾をされまして、復員後、復員患者療養を申請したものの却下されました。この申請には直属の上官の証明書や国立病院医師の診断書を添えながらも却下されているわけで、その後各種不服申し立てを重ねていますがいまだに成就しておりません。
ところが、右当日から再び上級生のしごきがなされ、以後同月八日に至る迄、連日暴行脅迫が繰り返され、ために清人は加療約二十日間を要する右大腿部及び同下腿部打撲、右足関節捻控の傷害を負いました。
しかし、再び連日暴行脅迫が繰り返され、加療約二〇日間を要する右大腿部、同下腿部打撲、右足関節捻挫の傷害を負うに至り、命からがら脱走を図り、同年六月三〇日退学するに至った。
二月五日になりますと右大腿部、右顔面、頸部、左胸部挫傷で同じく一週間の診断書が出ている。そしてまた二月八日に、それがまたどんどんエスカレートしていって、右の大腿、左下腿、胸部、腹部打撲傷、内出血、血尿――急所をけり上げるんですから血尿、同じく全治一週間の暴力を受けていますけれども、そのほかにこの同じ日の暴力で左第七、第九の肋骨骨折ということがわかりまして、その後引き続き四週間の診断書が出ている。
まして本人の症状は、昭和十三年五月十日に徐州会戦で機銃弾を受けて右大腿部を骨折、同弾が上部にそれて大腿骨転子間を骨折、次いで額部を通り大腿骨骨頭骨髄内に迷入。それで帰還して、昭和十三年五月三十一日に小倉陸軍病院に入って、その十一月と十四年一月の二回、骨髄内の留弾摘出手術を受けて、骨頭骨髄をかいて、そして股関節の骨頭は三分の一に減じて右足は四センチ短縮している。背柱が側湾になっている。
ちょっと読んでみますと、 門司市警防団員第一分団警護員故太田一夫君ハ昭和十四年四月九日警戒警報下命ノ為メ出動任務ニ従事中特命ヲ受ケ団員百五十名ト共二○○指揮ノ下ニ市内風師山山頂ニ向ケ○○運搬作業中(同所ハ登攀路狭隘ニシテ屈曲多ク而モ警戒管制中ニテ灯火ヲ用フル事能ハズ咫尺ヲ弁ゼザル暗夜困難ナル作業ニ従事中)ノ処如何ナル機ミナリシカ○○ノ下敷トナリ右大腿部全骨盤部ニ重傷ヲ負ヒ人事不省ニ陥リタルヲ以テ直
右大腿部切断というような事態になったわけでございますが、この判決に関連いたしまして、熱海市の医師会が、これは熱海市との間に救急医療の委託契約を結んでおるわけでございますが、その委託を返上するという、こういう申し出があったわけでございますが、その実行は効力発生が五月一日ということで申し出があるわけでございまして、ただいま市当局、県当局、市医師会、県医師会等といろいろ話し合いを進めておるところでございまして
同派出所勤務中の警察官がこれを取り締まろうとして同グループに近づきましたところ、先頭にいた高校三年の運転の二輪車が急に発進したため同巡査に衝突し、同巡査には右大腿部打撲、左手首挫創による全治二週間の傷害を負わせたわけでございます。
ところが警察官の一人は右大腿部を足げりにする、ほかの警察官が左腕をつかんでねじ上げる、さんざんの暴力を加えて、結局、左上腕骨骨折、右大腿挫傷、右手背部及び手関節背側皮下溢血、全治六カ月の重傷という傷を負いました。これが裁判になっているわけで、裁判では警察当局は全面的に事実を否認しているようです。
そうして作業していた三菱重工の下請日本建設工業株式会社の渡辺班の作業員藤本藤雄さんが顔面、右大腿部と、左足一部のやけど、背面打撲を負って酸素ベッドに収容されたという事件でございます。 最初御承知のように、会社側は午後六時ごろ県に対して、二号炉の冷却水ポンプの故障で運転を中止した、こういう発表をしております。
これは、静岡郵便局の四階廊下での傷害事件でございまして、一人の方が右大腿部、背中、腹部打撲傷で全治十日間くらいの傷害を得て入院したというふうな、全逓員と全郵政員によるトラブルでございます。これにつきましては、静岡中央警察署で、専従の係員八名を置きまして、現在捜査中でございます。これは、届け出によりまして、警察として捜査を始めているということでございます。
御質問の段階に応じて御答弁いたしますが、まず、事件の概要は、三月二十九日午後二時過ぎ、那覇市松尾の沖繩教職員会館付近の路上で沖繩教職員会政経部長福地氏が暴漢に襲われ、福地氏は右大腿部を短刀様のもので刺された。犯人は犯行後逃走した。福地氏は刺傷により静脈を切られ、輸血をした。重傷ではあるが、生命には別状はない模様である。
○国務大臣(塚原俊郎君) 「三月二十九日午后二時過ぎ、那覇市松尾の沖縄教職員会館附近の路上において、沖縄教職員会福地政経部長が二人組の暴漢におそわれ、福地氏は右大腿部を短刀様のもので刺された。犯人は犯行後逃走した。福地氏は刺傷によって静脈を切られ、輸血をした。重傷だが生命に別状はない模様である。
なくなられたのは石渡さん、七十二歳の方で、七十歳の方は右大腿部の骨折という事故でございます。これは一月二十三日の新聞にも出ておりますとおり、四十年の一月二十二日の二時四十分ごろの事故でございます。その巡査は、その日の午後二時四十分ごろ、これは非番日でございまして、婚約中の女性と同乗いたしまして、この女性の所有している自動車を自分で運転して成田山に参拝に行く途中でございます。
傷害致死の点につきましては、傷は、左手のひらの切創と顔面の右ほおの擦過傷、右大腿部貫通刺創、右臀部刺創ということでございます。こういう傷創の部位の状況等から、一応傷害致死事件として捜査を開始いたしたわけでございますが、県本部捜査一課からも捜査班を派遣いたしまして捜査本部を設置して、殺人事件と同様の捜査体制でもって捜査をいたしておるわけでございます。
ただ、それ以前の段階において一応どちらでやるかという問題があるわけでございますが、この場合は、一応右大腿部の刺創、臀部の刺創ということから判断して、傷害致死としてやった、しかし殺人事件と同様の捜査体制をしいた、こういうことであろうかと思います。
本事件は、三月二十四日十二時五分ごろ、アメリカ大使館ロビー入口において、静岡県沼津市に居住する塩谷功和という十九才の少年が、切り出しナイフを使用してライシャワー大使の右大腿部を刺したという事件であります。
本事件は、三月二十四日十二時五分ごろ、アメリカ大使館ロビー入り口において、静岡県沼津市に居住する塩谷功和という十九歳の少年が切り出しナイフを使用してライシャワー大使の右大腿部を刺したという事件であります。
それから負傷の状況でございますが、右大腿部を出血されまして、同病院医師執刀のもとに手術が行なわれたということでございます。生命には異常はないという報告を受けておりまするが、その後の報告は受けておりません。 それから外国使臣に対する警護につきましては、外国大公使、特にアメリカの場合は、内部は御承知のように、警察官は入れません。
○野田政府委員 渋谷の事件は五月二日の午後四時五十分ごろ、渋谷駅の東横デパートの一階の通路付近で国士館高校の二年生が東京の朝鮮中高級学校の高級部一年生の一人をナイフ様のもので刺して、右大腿部刺傷、全治三週間の傷害を与えたという事件でございますが、この事件は、前日の五月一日に、他の国士館高校の二年生のUという少年が、朝鮮人高校生十名ぐらいになぐられまして、その仕返しのために、国士館高校の生徒十数名が翌日
その中には、たとえば組合員の吉田静雄君、四十歳の人でありますが、この人に対して警察官は、上着のえりや頭髪をつかんで、くつでけり上げ、警棒で同人の頭部を欧灯して引倒し、よつて同人の右大腿部に全治一週間を要する打撲傷を負わせた上、同人の上着、えり、ポケツトを引きちぎり……、こういう事実で、一週間の傷害を与えております。